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終活という言葉の意味を知らなかった素人が勉強した結果を個人的感想を踏まえて書きなぐってみた

最近、スポーツネタが多くなっていたので、違う話題を。

さて、唐突ですが「終活」という言葉を知っていますか?私は最近まで全然知らなかったのですが、最近巷でちょいちょい聞くようになった言葉で、耳に残る言葉だったこともあり、興味が沸いたので少し調べてみることにしました。

 

「終活」って何?

終活とは「人生の終わりに向けて、行動してみようという活動」という意味で自分の死と向き合うというものらしいのです。まだ若い人にとっては縁遠い話だと思うのですが、「死」というのはいずれどんな生き物にも平等に訪れるものです。

そんな「死」について向き合うということは100人いたら100人考え方が違うでしょうし、自分の年齢によっても考え方は変わることだと思います。

ですので、終活という言葉が知る上で、その言葉が出来た意味を知るためにいろいろ調べてみました。

 

「終活」の背景とは

終活とは元々、10年ほど前に雑誌の記事で紹介された言葉が発端になったらしく、造語だそうです。当初は、生前のうちに葬儀や墓の準備を事前に準備することを指していたそうですが、「映画」「流行語大賞」などを経て社会現象へとなっていったそうです。

そういった出来事を経て、現在では意味合いを変え、

自分の人生の終焉(エンディング)に向けて向き合い、より良いものにするにはどのように過ごしていくかという風に変わってきているとのことです。こういった流行などを経て、色んな人の目につくようになり、色んな考え方が出てきた結果、現在の形へと変化していったのだた思います。

 

「終活」の目的は

年齢を重ねるにつれ、「死」という言葉について考えることが大なり小なり増えてくると思います。いや、若い人には「死」という言葉は普段あまり意識しないと思うので、「老い」という言葉に変換したといましょう。「老い」を感じるとはどのようなときに感じますか?

 

例えば私は10代の頃と比べ30代に突入した今、大いに太りました(笑)昔はどんだけ食べてもスポーツ少年だったこともあり、それほど致命的な肥満にはならなかったのですが、社会人となっても食べる量は変わらず、どんどんと体重だけ増えていきました。

 

そんなときの事でした。20代中盤に差し掛かったころ、一念発起してダイエットに取り組みました。その頃、仕事にも慣れ少し余裕を持ち始めた時でもあって、割と時間に融通が利いたこともあり3か月で10㎏ほどのダイエットに成功しました。

 

しかし、そんなときに悪魔(こてこてのラーメン)に出会いました。家の近くにあるラーメン店にハマり週3ほど通って過ごした結果、気づけばリバウンドどころか前以上の体重になってしまいました。

さすがに不味いと思い、前回上手くいったダイエット方法で同じように一時期頑張ったのですが、今度は前回ほどダイエットに効果が出ず、なぜかと思い考えてみたらその時20代、今は30代へとクラスチェンジしていたことを思い出しました。

 

その時初めて老いというものを意識した瞬間だったと思います。

 

 

それ以外にも風呂に入ると抜け毛が増えた気がするし、脂っこいものや甘すぎるものが前ほど食べられなくなったり、10代や20代前半に比べて確実に老いを感じるようになったと思います。

 

話がだいぶ逸れてしまいましたが、若い人にとって「老い」=「死」への一歩と考えてもらえればわかりやすいと思います。

最初は痩せにくなったとか、抜け毛が増えたとか、些細なことを意識するようになり、それが30代などになると、体のさまざまな不調が気になるようになり、40代、50代になってくると、否が応でも「老い」からの「死」を連想するようなことも増えてくるようになると思います。

そのような時期になったときに「死」に恐怖するより、それを前向きに向き合って、人生のエンディングに向けて、生き生き活動するというある意味素晴らしい取り組みなんじゃないかと思います。それを今回終活について調べている際に感じました。

 

終活にあたって

終活を行うにあたって、今生きている人が、死んだ後のことについて考えるのですからどうしても客観的な考え方になっていくと思います。例えば「残された家族」や「友人、知人」などまずは人間関係について考えるようになり、次に遺産のある人は、遺産相続などのお金関係のこと、そして次第に自分の人生を振り返ってやり残したことはないかなど自分のこれからのことについて考えるようになるのではないでしょうか?

 

また、私的な話に逸れるのですが、私の父はスーパー自由人です。元々は生命保険会社で勤め、営業の仕事で売り上げが全国1位になるほどのサラリーマンだったのですが、詳しい理由は聞いてないのですが、ある一件で上司に干され、一念発起して、脱サラし、もともとの家の地盤を引き継ぎ自営業を始めたのですが、とてつもないアイデアなどは出すもののもうけが出る前に手を引いて、色んな失敗をして、さまざまな方に迷惑をかけてきて、普通の人の感性なら申し訳なさから、死んでしまんじゃないかとおもうくらいに。でも、それでも今も成功しようと日本全国日々走りまわっています。

 

…本当に冗談でもなんでもなく齢60を超えてなお、10か月で6万キロを車で走っていました(笑)

大抵の人は信じませんが父のトンデモ話をしだすと1日では語れなくなるのでこれくらいしときます。

 

そんな父と先日、ふと世間話をする機会がありました。

どういった内容の話をしていたか忘れましたが、他愛もないしょーもない話をしていただけのですが、いつも通り、突拍子のないビジネスの話を聞いてるときに、こう言いました。

「これがうまくいったら、迷惑をかけた方々に色んなものを返していきたい」

「そして子供たちにこの仕事を引き継ぎたい」

「色々なことにけりをつけて2年後に自由な身になったら日本全国をぶらりと旅をしたい」

まぁ、息子の私からしたら「また、始まったよ(苦笑)」みたいな感じでとらえていますが、本人はいたって大真面目です。

でも、一方で感心もしました。

父が60歳を超えてなお、それだけの「夢」を語れることに。

そしてこういう話をしているときの父は本当に生き生きしていて楽しそうです。

でも、こういう夢話みたいなことを考えたところが終活的な考えの第一歩につながっていくのだろうなとも思いました。そしてこういう考えに至る人が多く居たから、終活という言葉が多くの反響を得たのかと。

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さて、話逸れまくりでまた直帰率を上げてしまう前に、次は具体的に終活していくにあたってどのようなことをしていかなければならないか考えていきましょう。

 

 

①エンディングノートを書いてみる

(1)エンディングノートとは

エンディングノートとは正式な書き方といったものはありません。書かなければならない項目もなく、ノートに書く情報量や、項目数も人によって違うことでしょう。

では、なにを書くかですが、

まずは「自分の死後、残された人たちの負担を減らす」ことについてです。

たとえば万一に備えて、病気をしている場合の治療についてや、例えば自分で自由に体が動かせなくなったりする前に、介護や葬儀の方法やその希望や伝言を家族に伝えたり、例えば葬儀などの時に呼んでほしい人リストなどを事前に記しておくノートのことです。

 

(2)エンディングノートと遺言状の違いとは

 エンディングノートには基本的に、自分のプロフィール、現時点の健康状態、上記に記したように、万が一の際に自分の希望や伝言を伝えるため、気がかりなことなどを記しておくためのノートです。

遺言状は遺産、不動産、土地、預金などの財産の処理方法や、子供の認知後見人の指定相続人相互の担保責任の指定などといった、法的効力のある場合に限ります。

 

そのためエンディングノートでは法的効力がないため、これだけでは遺産相続はできません。また、死後の開封も自由に出来るため、色んな人に見てもらうことが出来ます。

 

 また、エンディングノートには「経歴・生い立ち」といったプロフィール。

例えば

  • 氏名
  • 生年月日
  • 学歴
  • 職歴
  • 資格
  • 幼少期の思い出
  • 学生時代の思い出
  • 社会人になってからの思い出

といった感じで箇条書きで書き出してみて、そこにいろいろ記入してみたりして、自分がどんな人生を歩んできたかをエピソードなどを交えて書きます。

 

関係する人物の間柄や、交友関係や連絡先

  • 家族
  • 兄弟
  • 親戚
  • 友人
  • 知人

などのリストを作っておくと、例えば葬儀に呼んでほしい人などや、急な入院などで連絡を取りたいときに有用となります。

 

葬儀方法や希望する事柄

・希望する葬儀の形式

・葬儀に呼んでほしい人

・お墓の場所や、供養の方法

もし万が一のことがあったときのためにかかりつけの病院や、希望する介護施設なども書いておくといいかもしれません。

 

②遺言状を書いておく

③お墓を決めておく

④やりたいことをやる

 

まとめ

以上のことを最低限、やっておけば後に残る人たちが困るようなことはないんじゃないかということです。ただ、個人的にはこれだけ書いておきながら、こういうのもなんですが、ここに書いた全部をやる必要はないと思います。自分はどういう人間だったか、どのように死にたいか、あとはやりたいことをリストにしてしまえばあとは、他は個人の自由だと思います。結局は死ぬまでの間をどれだけ有意義に過ごすにを考えることがメインテーマですしね。